自分の家にも子供がいて、幸運なことに妻が上手に育ててくれています。子供が小さ
かった頃は自分も仕事が忙しくて、そんなに面倒を見ていなかったように思っていま
す。でも子供が大好きですね。無責任なんだろうけど、子供が好きで見ているだけで
もこちらが元気になってきます。これは本当に毎回不思議だなと思います。ネット
で見ていたら、相模原で親御さんの暴力で自殺してしまった中学生の子供さんの話が
出ていました。
児童相談所も関わっていたようですし、親の暴力から逃げてコンビニに逃げた際には
警察のお世話になっていたようです。前にも話しましたが、自分は基本、報道は信じ
ていません。そして、関係者の発した報道に出された内容もフィルターがかかった
内容だと思っています。その上での話ですが、「施設に入って生活していたい」と
言っていた、その中学生が何故自殺しないといけなかったのか。そう言う発言をして
いたのにも関わらず、自殺したと言うことは、それを助けるシステムが、この世の中
に存在しないと言うことなのか。
どうもその中学生を助けることの出来たシステムでは、あったようです。自殺した
本人ではないですから、自殺に至った詳細は分かりません。でも気になったのが
その中学生を助けることの出来たであろう方々が最善を尽くしたようなコメントを
出していることです。自分は、その彼らの責任をどうこう言うつもりもありません。
また、確率論で言えば、どうしても通常の様々な範囲から抜け出てしまうケースが
存在することも事実なのですから、100%カバー出来るとも思っていません。
でも、でもですよ、「最善は尽くした。当時としてはベストの方法だった」は何の
ための発言なのでしょうか。これは今回のことばかりではないですね。公で話される
言葉として、同様の言葉が出てくる機会の何と多いことか。記事を読んでいて腹が
立ってきました。もともとの目的は不幸な状況の子供を助けることではなかったん
でしょうか。そして、その子供が自殺した。自分なりの外部へのメッセージははっき
り出していたにも関わらず。やせないです。どうしようもない怒りが込み上げてきま
す。人間の命は地球よりも重い。そんなことを小学校の頃、先生から習いました。
そして、それは非常に重要なことだと今でも思っています。我々大人が今の社会の
責任を負っているのです。それを各人がもう一度心に深く焼き付けるべきです。
本当に。真剣に。