少し前に今学校に通ってる子に聞いたら、学校ではカエルの解剖が無くなってる話を
聞きました。まあ、ある意味そうなんだろうと納得出来る部分もありました。確かに
気持ちが良いものではないし、第一にはカエルが可哀相。お勉強のためとは言え、殺さ
れるわけですし、その前段としては捕獲されるわけで。それでも今思い返してみると
当時の先生方はしっかりしていて、解剖のために亡くなるカエルにお祈りをしましょう
とか、解剖後お墓を作ってみんなで埋めて拝むとか、しっかり生き物の大切さを教えて
くれていたように思います。ですから、学業としてのカエルの解剖が良いとか悪いとか
は別にして、しっかり生き物の大切さは教えてくれていました。
生き物を大事にすることで言えば、小学校の低学年の頃は生き物を平気で殺してまし
た。トンボやカエル、蟻とか。カエルは数は少ないかもです。トンボは当時かなりいた
ので何故か、捕まえては地面に叩きつけて遊んでました。父親だったか母親にトンボは
益虫と言って害のある虫を食べるし、可哀相だからやめなさい、とか注意されてだった
かもしれません。それでやめたかもです。蟻はともかく踏みつけてました。ウジャウジ
ャいるのが気持ち悪いし、虫眼鏡で太陽光で焼いたりしてました。悪いことをしてたな
と思いますが、当時は平気でしたね。でも途中からやってはいけないことだと気付いて
やめてます。そんなもんです。
それで関連付けて言えば、牛、豚、鶏等家畜と呼ばれている動物を折衝して生きてるこ
と自体はなんなんだ、ということにもなります。本当はどうか少し疑問も残りますが
ライオンや虎は不必要に殺生はしないとも言われています。人間はどうでしょう。不必
要に殺しているとも言えるし、家畜を育てる環境は決して家畜に快適ではないのがほと
んどのはずです。鶏なんてまさにそう。そう考えていけば人間の存在そのものが悪で
あるような、そんな気さえしてきます。それで考えれば動物実験なんてのは論外って
ことになるかもです。
そんな風に考えていくと、人間なんてのはそういう殺生のうえで生きてますし、それが
出来ることに感謝もしないといけません。偏見ですが海外の環境保護団体の多くは利益
を得るためにとかのお話もありますよね。もっと突っ込んで言えば、同じ人間を奴隷に
して搾取することで良い生活を送ろうとしていた人たちには、この辺の感覚は理解にし
にくいかもです。雑駁な話でしたが、思い付いたので書きました。