気になるトピック&ニュース少し掘り下げブログ

沖縄の大好きな中年オヤジですが、ブログで色々取り上げています。(笑)

東北生まれとして3月11日の大震災を思う

f:id:o-kenya777:20190311172827j:plain

f:id:o-kenya777:20190311172855j:plain

8年前の今日はちょうど会社事務所から外出するちょうどその時に大震災が起きた。も

ちろん揺れ方が尋常ではなかったので出発後の翌日に逢うことになっていた先方の会社

にもイベントの中止をお願いし、どんな対応をするのかを会社で会議していました。ま

あ、仕事の話は置いておくとして家族では妻と娘が運が悪くと言いますか、ディズニー

ランドに行っていて当日は帰ってくることが出来ず、翌日混雑する中を千葉市まで車で

迎えに行くという、そんなことがありました。生きる死ぬではないし、大したことでは

なかったですが、千葉市に近づくと道路が大渋滞でなかなか車も進めず、面倒だったの

は事実です。

 

東北の話で言えば子供の頃に岩手県宮古市津波用堤防は目にしていて、ばあちゃんか

チリ地震津波の被害の教訓から作った堤防なんだよと教えられていて、こんなの超え

津波なんて来るのかな、と子供心に思ったりもしたものです。あの堤防を知っている

人からすると、この堤防を越える津波が実際に来たと言うのは本当に信じられない話な

のです。余談ですが、ばあちゃんもじいちゃんもチリ地震の時は沿岸部にいて、津波

に潮が大きく引いたのを見たという話をしていました。それを聞いたときは「ふーん、

そうなんだ」と思ったぐらいですが実際にはかなり恐い経験だったんだろうと思いま

す。

 

三陸海岸での堤防を越える津波をTVで見た時には茫然として泣きそうになりました。

「こんなのあり得ない。大事なものが全部無くなる」そんな感情でした。当事者でない

人間でさえ、そんな状況ですから、実際にそれを目にし、肉親や兄弟、仲の良い知人を

無くした方々はどんな思いであったことか。これを思うと胸が潰れそうになります。こ

んな酷い、地獄と思える災害が生きているうちに起きるなんて。多分、心が壊れた方も

いたでしょうし、生き残っても生き甲斐を見いだせず、そのまま亡くなった方もいるの

だと思います。それでも生き残った方々は必死に生きることが亡くなった方への、とも

らいと位置づけ、必死に頑張っている方々も大勢いらっしゃいます。これは感動以外の

何物でもない。そして、それを知った自分は色々あっても、その方々の悲しみに比べれ

ば、どうという苦労でもないと思い直し、頑張ることが出来ます。

 

実家の盛岡に帰る時は車を使うことも多いのですが、常磐道を使います。そう、福島を

通るのです。道路の途中途中には放射能濃度の表示があるんです。自分はどうしても福

島県の通過中は外気を車の中に入れません。そしてパーキングも福島県内は使わないの

です。心情は恐い、ただそれだけです。人の見えない、黒い大きな除染で使われた袋を

見るとゴーストタウンになってしまっているのか、それでも人たまたま見掛けないだけ

なのか、何とも言えない気分になります。そう、放射能汚染対策なんて根本で言えば全

然終っているわけじゃない。8年経過したって本当の部分は何も変わっていないだ、と

思ってしまいます。政治はこの部分を積極的に変えていこうとしてないように見えま

す。ある意味忘れ去られてる。本気で東京オリンピックに使う予算を何故、東北に

使わないのか、そう思います。あんな悲惨な場所を残したままでオリンピックで騒ぐな

んてのは絶対に出来ない。そう思います。それでも地道に民間の手で、あるいは自治

で頑張っている方々がいらっしゃる。何とも言えない気分になります。

 

多分、どの方も知らないふりのようにしている関東地区や東海地区での更なる大震災は

近いうちにいつか、起こるのでしょう。その時は本当に日本が潰れるぐらいの被害にな

る。そういう想定になってますよね。その時に自分たちは本当にどうするのか。最低限

の備えはしておくとしても本当にどうなるのか。予測できないことを心配してもどうし

ようもないので出来る準備を今からしておくとして、起きた際に生きていけるのか、家

族を守ることが出来るのか。そこを本気で考えて対応をすることを更に考えています。

自然災害は絶対に起きるもの。それを受け止めるのも地球の生き物としては当然のこ

と。そんな発想で対応していこうと思います。