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沖縄の大好きな中年オヤジですが、ブログで色々取り上げています。(笑)

【千葉・大規模停電「マスコミはもっと報道しろ」の声への違和感】への意見

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表記のニュースは現代ビジネスに出たニュースです。最初に自分は何もここで言わずに

その内容を載せます。副題としては「被災地にマスコミは必要か否か」となっていま

す。

 

【現在ビジネス 9月25日】

 

■「もっと状況を伝えるべき」
9月9日に上陸した台風15号は、首都圏にこれまでに無いような被害をもたらした。特に千葉県の太平洋側の地域に打撃を与えているのが長引く停電で、倒木などの影響により倒れた鉄塔や電柱などの修理が想定通りに進んでいない。徐々に復旧は進んでいるが、家庭への引き込み線の断線などにより停電が続く世帯はまだあると見られ、完全復旧には、もう少し日数を要しそうだ。


これまで、幾度も首都圏に台風は到来したが、これまでいくら「猛烈な超大型の台風がやってくる」と言われても、ここまで大きく、かつ継続的な被害が出ている台風というのは記憶がない。せいぜい当日と翌日の交通のダイヤが乱れるのが関の山だった。しかし、今回の台風にはまざまざと自然の驚異を見せつけられた感がある。

 

さて、今回の台風の被害が報じられる中、僕が不思議に思ったことがある。「マスコミはもっと被災地の状況を伝えるべきだ」という声が意外と大きかったのである。震災のときのマスコミといえば、ネットでは常に叩かれている印象が強い。避難所に行っては被災者に怒鳴られているシーンが拡散され、被災地で弁当を食べたとツイートをしては「被災者の弁当を横取りした」と批判され、ヘリコプターの音がしては「マスコミのヘリコプターで、救助を求める声が聞こえない」「救助ヘリの邪魔をしている」などと叩かれる。


被災地にマスコミが入っても邪魔なだけだと考える人の気持は分からなくもない。レスキューのように人を助けるわけではなし、自衛隊のように様々な場所に人手を送るでもなし、電気ガス水道のようなインフラ整備をするわけでもなし、ボランティアのように困った人に手を差し伸べるわけでもない。ただ自分たちの商売のために不幸な他人を撮影して行く無法者。そんなイメージなのだろう。

 

■行政の役割・マスコミの役割
ところが今回は、台風が過ぎ、千葉の被災状況が徐々に伝わってくると、マスコミ批判よりも先に「マスコミはもっと被災地の状況を伝えるべきだ」というツイートが相次いだ。マスコミの動きとしては、11日に安倍改造内閣の成立などもあり、全面的に千葉県の状況を伝えていたとは言えない。しかしながら、「思ったより大変なことになっている」という千葉の状況が伝わってきたのはやはりそれはマスコミが報じたからであり、停電の状況なども含めて、マスコミは報じるべき情報は伝えていたと僕は見ている。
では、どうしてそのようなツイートが相次いだのだろうか。これはマスコミに対する期待の声なのだろうか?


「報道が少ない」とするネット上のニュースをいくつか読んだのだが、報道が少ないといいつつ、実際に少ないと感じているのは「いつ電気が復旧するのか」「飲料水はどこで配布しているのか」「診療が受けられる病院は?」という情報であった。千葉県で発生した被害を全国に伝えるのはマスコミの役割だが、一方で11日頃に千葉県で被災していた人たちにとって必要な情報を彼らに伝える役割を負っているのは、マスコミではなく行政である。

 

もちろん、マスコミは情報伝達の手伝いはできるし、独自で発見した情報を伝えることはできる。しかしそれは数ある情報伝達ルートの1つに過ぎず、細かな被害の発見や救援物資などの提供は、レスキューや警察や自衛隊、そして行政などといった組織が担うべき役割である。「被災者にとっての有用な情報が少ない」というのは、本来であれば行政に対する批判である。

台風被害が徐々に終息に近づき、当面の生活よりも今後の補償などが問題になる中で、徐々にではあるが行政の職員の手が足りなく、被害確認などが進んでいないという様子が報じられるようになってきており、現場の窮状が忍ばれる。しかしそれは、長年に渡る安易な公務員削減と、それに伴う非正規雇用の拡大という政策の結果、非常時に弱い体制が作り上げられたという結果に過ぎないのである。

 

震度6強地震さえも…
にもかかわらず、本来であれば批判されるべき行政に批判がされず、その批判がなぜかマスコミにぶつけられてしまっている。残念ながら、マスコミへ寄せる期待と、本来のマスコミの役割が、なにか噛み合っていないのである。
では、震災などの人々が命の危険や過酷な状況に置かれている場所におけるマスコミの役割とはなんだろうか?

僕は2つあると考えている。
1つは「その場所以外にいる人達に、状況を伝える役割」だ。いまや「ニュースはインターネットで十分。テレビなんて古い」と言う人も多い。しかし、地震があればみんな真っ先にテレビをつけてNHKを見るように、まだまだ多くの人がニュースソースをテレビに頼っている。テレビに被災地の惨状が映されれば、多くの人の目に止まり、そこに支援が集まるのである。

 

2011年の3月12日。長野県の栄村で震度6強地震が発生し、村の建物が倒壊するなど、村に甚大な被害をもたらした。本来であればトップニュース扱いであるはずのこの震災だが、マスコミにはあまり注目されず、多くの人がその震災の存在に気づいたのは、それからしばらく経ってのことだった。なぜなら、その前日の3月11日に、東日本大震災が発生しており、その膨大な報道量に、栄村の存在がかき消されてしまったからである。そのような不運な状況が、支援の遅れを引き起こしたとも言われている。


やはり多くの人達に災害の存在を伝える力は、マスコミが圧倒的である。だからこそ、マスコミは積極的に被災地に入る必要があるのだ。今回の「マスコミは被災地の情報をもっと伝えろ」という声には、マスコミへの期待も含まれていると考えられるし、こちらの役割についてはマスコミも自覚的だろう。

 

■記録し、後世に残す

もう1つは「そこで起こったことを記録し、後世に残す役割」だ。カメラを持って現地に入り、撮影してテレビ放送に使う。そして撮影されたデータは、別の番組や将来の番組で使うかもしれないから、データ化して保存する。いざ使うときには素早く探し出せるように整理を行う。新聞のデータを毎月1回「新聞縮刷版」として発行し、それを図書館などが購入することで、誰もが数十年前の新聞を読んで、どのような出来事があったかを調べることができる。

こうしたデータの保存と活用には、やはりマスコミに一日の長がある。もちろん、インターネットにもたくさんのニュースが掲載されるし、動画サイトにもたくさんの動画がアップされる。その中には被災者本人が撮影した動画も含まれる。

しかし、ネット上のコンテンツはあまりに膨大だ。ごく稀に重要なニュースや重要な動画があったとしても、そうした記事はPV目当てで作られた二束三文の「いかがでしたか?」な記事に埋もれて消えていってしまう。いや、実際には消えていないが、検索サイトの下位の方にしか引っかからなくなった時点で、その情報は失われたも当然なのである。

■社会全体の利益として

ただ、こちらの役割について、新聞はともかく、テレビは自覚的だろうか? テレビ局は自社サイトでニュースの動画を配信しているが、古いニュースの検索や保存性という点では、お話にならない。自社で保存をしていても、多くの人が広く利用できる形で公開されていないのであれば、テレビメディアの公共性には疑問が残ってしまう。せめて書籍に参考文献の1つとして提示できるくらいの保存と閲覧性は確保してほしいし、そのくらいのことをしなければ、マスコミが被災地に入って優先的に撮影を行うことを、社会が許容する必然性は無いのではないと思う。

これまで、マスコミによる傍若無人な撮影が許されてきたのは、そこで撮影された写真や映像が、最終的に社会全体の利益として還元されるものであると、多くの人たちが信頼を寄せているからだ。しかし現在、そうした信頼は失われかけている。事故や災害の現場において、報道カメラマンたちは単なる「邪魔者」として扱われ始めている。

僕がマスコミの価値として認めているのは、より多くの人たちに事件や事故、震災などの発生を伝えることができる部分。そして、ネットの海に沈んでいかず、参考文献としてしっかりと引用できるような、リファレンスとしての価値である。マスコミは改めて、社会において自分たちの存在がどのように役立っているのかを自ら認識し、しっかりと主張して、マスコミへの不信を返上する必要があるだろう。

 

自分がここで、この記事を載せた理由は批判と言うよりも意見がかなり違ったためとい

うことに尽きます。自分の意見の背景にはマスコミは事実をそのまま伝えないと言う

気持ちがかなり強いためです。これは実際に自分がマスコミから取材を受け、それが記

事に出た際に自分の言った趣旨と全然違った報道になっていたことが幾度となくあった

からでTVに出た際もそうでした。報道はその担当者の主観と言うフィルターがかかっ

ており、それが事実として世の中に流れるというのが自分の経験からの意見です。

 

そこが前提になっているのでマスコミに対しては最初から良い印象がないわけですが

今回の「マスコミはもっと報道しろ」の意味は自分の解釈では、当時は内閣改造とか

でマスコミは賑わっていて、千葉の悲惨な被害状況はどこのマスコミにも重要な位置

付けになっていなかったから、ではないかと思っています。確かに対応は地方自治

なので実際に対応はそうですが、その前に緊急事態ですよ、というのをまずは一般の

方々に知ってほしいと言うのが本音だったように思います。

 

確かに普通は被災者の方にとってはマスコミは邪魔で非礼な輩でしかない場合も多かっ

たように思います。当然当事者ではないので、その気持ちが充分理解出来ていないのは

仕方がない部分ですが非常識な報道関係者が多かったのも事実です。一部が全部では

ないですが、そう見られてしまうのは仕方なのないことでマスコミの例だけではありま

せん。

 

世の中色んな意見があって良いし、色んな志しがあって、それで頑張っているのも素晴

らしいです。しかし、既にNHKですら真実を伝えていない現代でどうやってマスコミの

正当性を回復するのかは非常に難しい課題のように思っています。今回の記事では役所

の人間が削減されての話が出ていました。それは事実でしょう。そして就業人口の5割

がお役所関係なのも事実です。そう、日本はもともとお役所のサービスが良かった国な

のです。でも税金の収入も減り、人口も減っていけば、それも出来なくなる。そんな国

にこれからどんどんなって行きます。今回は取り合えずここで。