今日初めて愛媛県大洲市(おおずし)と言う場所を知りました。ごめんなさい。勉強不
足です。そこにある大洲城の天守も宿泊施設になっていると言うお話をCNNで目にしま
した。凄いような少し恐いような。このお城は再建されたのだそうです。天守箔だけで
はなく、色んなグレードの宿泊が可能となっています。天守での宿泊はなんと1泊2名
様で100万円!追加1名10万円で最大6名まで対応可能との記載になっています。
超高価な宿泊だけに入城の際にはホラ貝が吹かれたり、鉄砲が発砲される等、色々趣向
をこらしてあるそうです。詳細はCNNからで、ここに掲載します。
【CNN 8月22日】
(CNN) 愛媛県大洲(おおず)市の大洲城に新ホテルがオープンし、観光客にかつてない体験を提供している。本物の天守で大名さながらの生活を味わえるという趣向だ。
観光客が宿泊できる天守は日本初にして唯一。日本に残る数少ない木造建築の城のひとつでもある。大洲城をホテルに生まれ変わらせたこと自体、大変な偉業だが、実はこれは大きな構想の一部に過ぎない。目標は縮小しつつある地方都市を再生させることにある。
大洲は「伊予の小京都」とも呼ばれ、風光明媚な肱(ひじ)川や歴史的建造物、そして4階建ての優美な大洲城で知られる。江戸時代に政治的な拠点となった後、明治・大正時代には蝋(ろう)や絹の生産および交易で栄えた。しかし、日本にある他の多くの地方都市と同様、ここ数十年は斜陽が著しい。
1950年代以降、大洲は大幅な人口減に見舞われ、1955年に7万9000人を数えた住民は2020年には約4万2000人にまで減った。「人口減に伴い、企業の閉鎖や家屋の放棄が起こり、より良い将来を求めて若者が街を離れるケースが増えた」。そう指摘するのは、一般社団法人「キタ・マネジメント」で建築文化研究部門の責任者を務めるディエゴ・コサ・フェルナンデスさんだ。「若いカップルがいなくなった結果、子どもの出生数も減り、ますます悪循環にはまっている」
こうした厳しい状況を受け、多くの地主は、経済的価値を失ったとみられる古い家屋の解体を決めた。フェルナンデス氏は「大半の場合、家屋だった場所は空き地になるか、駐車場として使われている」「現状を続けるわけにはいかない、何か対策を打たなければ、という思いが地元住民の間に広がった」と語る。
そんな中で解決策の一端を担ったのがキタ・マネジメントだ。同組織は「急速に姿を消していた」古い家屋の保存に奔走。持続可能で地域社会に配慮した再利用の取り組みを進める。スペイン出身のフェルナンデスさんは、2000年代初めに建築学の学位を取得した後、京都に1年間留学した。「水と建築、歴史」をテーマに博士論文を執筆していた12年、再び来日。大洲に出会ったのはこの時だ。「この地域は私の研究の柱になった」「少しずつ現地の人脈が広がっていった」(フェルナンデスさん)
大洲城に宿泊する
現在の大洲城は再建された建物で、ホテルにしつらえる許可が当局から下りたのもそのためだ。日本の文化財保護法では、天守の多くを含む有形文化財の改修に厳しい制限を設けている。大洲城の場合、元の建物は1888年に取り壊されたが、地域のシンボルを惜しむ声が高まり、1990年代に入って市が復元を決定。再建に当たってはコンクリートではなく木材を使用した。
「木造だと何倍も費用がかかるうえ、戦後の建築基準法では高さ13メートルを超える木造建築を許可していなかった」とフェルナンデスさんは指摘する。大洲城天守は高さ19メートルだ。長年にわたる国への働きかけの結果、大洲市はついに木造による天守の建造を認められ、2004年に復元を完了した。
大洲城は今年7月からホテル宿泊客の受け入れを開始。一般向けの見学時間が午後5時に終わった後、宿泊客は天守を独り占めできる。オープン初年の利用は年間30泊のみで、一度に宿泊可能なのは最大6人までとなる。料金は2人で1泊100万円。追加の宿泊客については1人10万円かかる。
天守には売店やトイレ、空調施設がないため、敷地内の目立たない場所に宿泊客用の豪華浴室とラウンジを設けた。宿泊客は城に到着すると、ホラ貝の音やはためく旗、鉄砲隊に迎えられる。伝統的な着物や武士の甲胄(かっちゅう)を身につけることも可能だ。その後は、無形民俗文化財に指定されている地元の神楽でもてなしを受ける。
夕食は敷地内にある4棟の櫓(やぐら)のひとつで取り、食後は酒を飲みながらの月見や詩歌の朗唱も行われる。城で夜を過ごした翌朝、朝食は崖にたたずむ古色豊かな別荘「臥龍山荘(がりゅうさんそう)」で頂く。肱川を見下ろす茶屋も付設されている。
城下町ホテル
ただ、市内で宿泊先の選択肢となるのは大洲城ホテルだけではない。「NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町」と銘打ったプロジェクトでは、大洲市のあちこちに宿泊地を設けている。
市全体でみると、復元された古民家3棟に合わせて11室が点在する。3棟は大洲藩の藩主にちなんで「SADA」「OKI」「TSUNE」と名付けられ、いずれも興味深いエピソードを秘めている。
SADAは20世紀初頭に医師が所有していた家で、診療所として使われていた可能性がある。現在ではホテル群全体のフロントの役割を果たし、宿泊客と一般客の両方に開かれたレストランも備える。TSUNEにはかつて、400年の歴史を持つ料亭が入居していたものの、1980年代初頭に空き家となった。現在は2室と宴会場を完備している。
最後のOKIは「これらの古民家の中で宝石のような存在」(フェルナンデスさん)だ。「OKIは蝋の生産で富を築いた豪商、村上氏が所有していたものだ。彼らはOKIを主な住まいとしていたため、地位を誇示する目的で趣向を凝らした。大洲市内に残る最古の住宅のひとつでもある」城下町の民家は1泊1万7000円から利用できる。
関東には馴染みのない場所ですが地域復興のため、知恵を出して頑張っているようで
す。街並みも古い良い時代の日本の雰囲気が漂っています。日本は世界の中でも超高級
なホテルがほとんどない国と言われています。お金をかけても日本情緒に浸ってみたい
と言う海外のお金持ちには良いかも知れません。ただ今はコロナ肺炎蔓延で依然と違っ
て日本は世界の中でもコロナの危険な地域とされています。そうは言いながらも是非
頑張ってほしいと思います。
古き良き、往年の日本を訪ねる旅~愛媛県大洲市~(日本語:5分Ver)