多分、小学校の頃ですが、ある時から夜が恐くて、自分ひとりで夕方に暗くなった森の
脇の道路等、歩くのが恐くて走って通り抜けたり、後ろに誰かいないかを何度も振り返
って見たりしていました。そう、それは楳図かずお先生の恐怖漫画を見てしまってから
です。あんな恐ろしい漫画って他にはないでしょう。もう、あの恐い絵が完全に頭に
焼き付いて抜けないのです。恐いなんてもんじゃなかった。完璧な恐怖。先生の漫画
は緻密なためか、現実感ありすぎだったのです。それに本気で恐くて震えてもいるの
に先を読んでしまう、そんな感じでした。へび女もそうですし、腕にとか、顔が現れた
りは、自分の身体を見直したりしたものです。ひょっとして自分もそうなるんじゃない
かと言う恐怖で。
この辺についてもう少しだけ触れますと先生の絵に現実感のようなものが、かなりあっ
たじゃないか、と思ってます。絵が当たっているかはありますが全然崩れていないし、
緻密なのです。背景に黒も多かったような。それと恐怖の部分は子供ながらに今まで自
分が経験してきたことと密接に楳図先生の恐怖漫画が繋がってる気がするのです。だっ
て小学校低学年だったころの先生の絵の恐怖がもう少しで70歳にも近い老人の頭から
消えないで残ってるんです。どれだけのインパクトがあって、どんだけ恐かったかと
いう証しでしょう。こんな衝撃的なことって人生の中でも、そうそうあることじゃない
のですよ。
そんな先生のキャラが底抜けに明るくて、愛すべき人だったのを知ったのは、例の「
まことちゃん」が世に出てからです。そして「まことちゃん」には、めちゃめちゃはま
りました。まことちゃんのギャグが大好きだったのです。そして、楳図先生が大天才で
例の「馬鹿と天才は紙一重」を地でいく人と知ったのもこの時です。手塚治虫先生とは
まったく違うのですが、昭和と言う時代を築いた天才漫画家だったのは、間違いないの
です。先生も若かった頃は相当苦労したようですが、そんな経験も先生の作品に影響を
及ぼしたのは間違いないでしょう。ウィキペディアの先生の来歴では貸本漫画で人気を
博したこともあるという記述があります。貸本漫画なんて何十年ぶりに目にした言葉
か。自分もかなり昔、借りた記憶があります。そんな時代を生きてきた先生も88歳で
お亡くなりなったので天寿と言える年齢のように思います。最後は胃癌とのことですが
年齢を考えれば、それも。色々どうもありがとうございました。先生のキャラ、大好き
ですし、尊敬すらしてました。またです。ぐわし!