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沖縄の大好きな中年オヤジですが、ブログで色々取り上げています。(笑)

絶対行きたい焼き肉屋「スタミナ苑」とその料理人・豊島氏の楽しいお話

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引用:https://www.msn.com/ja-jp/news/money/日本一の行列店が絶対予約を取らない理由/ar-BBQOXPR?ocid=spartandhp#page=2

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引用:https://hitosara.com/0006077818/person.html

この上の写真見てください。こんな美味しそうなホルモンないですよね。写真でこんな

感じなら本物はどれだけ美味しいことか。これは有名店足立区鹿浜の、交通も不便なと

ころにある「ホルモン苑」のミックスホルモンです。こんなの絶対に旨いに決まってま

す。予約を取らない主義だそうで混雑すると数時間も並ぶと言うお店です。上手に時間

を見つけていくと、そんなに混雑してない状態で食べることも可能とのこと。是非是非

行きたいお店です。そこで料理人を45年以上も料理をしている、豊島雅信氏が書き下ろ

した本「行列日本一 スタミナ苑の繁盛哲学」(ワニブックス)からの抜粋で非常に楽し

いお話がMSNニュースで紹介されていましたので、ここで紹介いたします。とても楽し

いお話ですよ。

www.sutaminaen.com

 

【MSNより】

※本稿は、豊島雅信『行列日本一 スタミナ苑の繁盛哲学』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。

 

実家は肉屋をやっていたんだけど、おふくろの弟、つまり僕のおじさんから「これから

は焼き肉屋がいいらしいぞ」って勧められたのがオープンのきっかけだったみたいだ。

おふくろは8人兄弟で、そのおじさんはヤクザみたいな風体だったことを覚えているけ

ど、身内には優しかったね。子供の頃はよく海に連れて行ってくれたり、遊んでくれた

な。あとから聞いたら、「海に連れて行くからいくらかよこせ」って金を徴収されてい

たらしい(笑)。昔の人って面白いよね。スタミナ苑がオープンしたのは僕が10歳くら

いの頃。手伝いをするのは嫌いじゃなかった。商売が好きだったんだよね。手伝いをす

ると客が褒めてくれるのがうれしかったのかもしれない。根が単純なんだよ。

昔から焼き肉は精がつく料理の代名詞だった。そんなに安い食べ物じゃなかったと思う

よ。頻繁には食べれなかったもん。

特に関東は豚を食べることが多かったし、牛は高級品だった。関西は昔から牛の文化だ

よね。トンカツだって、関西に行ったら牛カツだしさ。

 

うちの屋号はずっと「スタミナ苑」。わかりやすくていい名前だよね。店名はさっきと

は別のおじさんが命名したんだ。その人は不動産屋をやっていて商売上手。昔は随分と

儲けたみたいだよ。近所にはいくつかおじさんの持ち物だったマンションもあった。

「スタミナ苑」はオープン当時からそこそこ客が入ったんじゃないかな。でも、我が家

は裕福ではなかったよ。真面目に商売をやってればさ、なんとか食っていけるって時代

だったから、贅沢さえしなければ食いっぱぐれることはなかった。

うちは肉屋だから恩恵にあずかることも多かった。煮込みが食べたい、って言えばおや

じがありものを使って作ってくれたもんだね。いやぁ、あれは本当にうまかった。

今の煮込みと比べたら雲泥の差だよ。味わいなんて今の煮込みは半分以下だね。なぜか

って。それはね、狂牛病の影響なんだ。2001年の狂牛病問題があって以降、日本でも牛

の脳みそと脊髄は廃棄されることになった。牛の脊髄って中が豆腐みたいになっている

んだよ。それを煮込みに入れるとトロトロになって、とにかくうまいんだ。

 

狂牛病の前は食肉処理場に行くと、肉を処理した後に廃棄された脊髄が簡単に手に

入ったもんだ。「どうせ捨てるんだから好きなだけ持って行け」って感じだった。

でも、今はすべて保健所の獣医が廃棄してしまう。困ったのは、眼医者の卵だってさ。

解剖の授業で牛の目を使いたいんだけど、もらえなくなっちゃった(編注・現在は豚の

目玉を使用している)。

昔は、スタミナ苑から自転車で行ける範囲に、4軒くらい焼き肉屋があったんじゃない

かな。でも、気がついたらうち以外全部なくなってた。祝い事や給料日なんかには、近

所に焼き肉屋があれば足を運んだもんだ。でも、今は違うんだろう。ある程度おいしく

ないとお客は来てくれない。日本という国が豊かになったんだ。

焼き肉屋はもちろん、他のお店がどんどんやめていったのは、この辺りの商店街から客

足が遠のいたのが大きいね。近くにでかいスーパーができて、そっちを使う人が増えた

んだ。そして商店街から人がいなくなった。

こんなへんぴなところにもだんだん建売住宅が増えて、住む人は増えてるみたいだ。だ

けど、近くに住む人はうちのお客にはあまりなってくれない。いくら家の近くでも、毎

日行列ができてる店に並びたいなんて思わないだろ。僕だって、「いつかまた来ればい

いかな」って思うもん。

うちの店は予約を取らない。誰が来たって並んでもらう。有名なタレントだって、政治

家だって、誰でもそのルールは変わらない。ヘタすりゃ開店の3時間前から待っている

お客もいる。暑い中でも、雪の日でも待ってくれるお客がいる。ありがたいことだね。

だからその期待に応えるようにおいしいものを出さなきゃなって気が引き締まるよ。

なんで予約を取らないのか。それにはちゃんとした理由がある。

それは僕が若い頃の経験からきているんだ。うちの店の前にある薬局の社長は、僕がガ

キの頃からとてもかわいがってくれてさ、何くれとなく面倒を見てくれてね。この店を

手伝うようになって数年経ってからも、よく「マコ、行くぞ」って、フラって店に現れ

ては遊びに連れて行ってくれた恩人なんだ。

 

大人の遊びも教えてくれた。社長はギャンブルの達人でさ。本当にすごいんだよ。店に

来て僕に金を預けて、「おい、マコ。今からこれを持って川口(オートレース場)に行

ってこい」って言うわけ。いつも20万くらいはあったんじゃないかな。当時は電話やイ

ンターネット投票なんてもんはなかったから、代理で買いにさ。

レース場についたら公衆電話からジーコジーコって社長に電話をして、出走表を見なが

ら試走タイムを電話口で報告するんだ。試走タイムはレース展開の大きな鍵を握ってい

るけど、それだけを鵜呑みにしたってもちろん当たるはずがない。だけど社長はしばら

く悩んだあとに、「よし、これとこれを買っておけ」って買い目を指示してくれる。

これが毎回連複の一点買いなんだから、驚いちゃうよね。なんだかなぁ、って僕も思う

んだけど、その通りに買うと、これが当たる当たる! 持ってきた金があっという間に

何倍にもなったりするんだからビックリしたね。競馬で儲けた日は、まあ自分の金じゃ

ないんだけどさ、その金を手にしたご機嫌の社長と浅草の場外馬券売り場から『三浦

屋』って店まで歩いて、フグを食わせてもらったな。この店のフグがまたうまいのなん

の。当時からフグはごちそうだったしね。いい思いをたくさんさせてもらったよ。

 

その『三浦屋』が絶対に予約を取らない店だった。聞けば昔からそのスタイルを貫いて

いるという。僕も若かったからさ、こんなに人気だから予約取ればいいのにって疑問に

思ったよ。だって客からしたら不便じゃない。だから、あるとき「なんで予約を取らな

いの?」って女将さんにストレートに聞いたの。そうしたら女将はこう言った。

「お客なんて予約したって時間通りに来ないし、だいたい1人か2人が遅れてくるから全

員が時間通りに揃わないよ。予約のためにその前から席を遊ばせておくなんて勿体無い

じゃない。その間に一回転しちゃうよ」ってね。僕はごもっともだなぁって感心した

よ。その当時、僕は20代前半。スタミナ苑は今とは違って混雑するような店でもなんで

もなかったけれど、その言葉が脳みそにこびりついてさ。

「僕の店がいつか人気店になったら、そのときは絶対に予約を取らないぞ」って誓った

んだ。それが現在のスタイルの原点。芸能人だって、政治家だって関係ない。それだっ

たら、月に何回も来る人を大事にしたほうがいいに決まってるじゃないか。

 

お店が知られるようになったのは80年代の最後、バブルのちょっと前からだね。放送作

家の秋元康さんや作家の林真理子さんをはじめ、タレントや文化人が食べに来るように

なった。「一緒に焼き肉を食べるカップルはできている」って説を秋元さんが閃いたの

も、うちで食べていたときだそうだよ。焼き肉って箸を使って、肉をひっくり返すこと

もあるじゃない。今はうちでもトングがあるけどさ。1度口にした箸を使うってことは

さ……これも今や広く知られるようになったよね。

最初はみんな穴場や隠れ家的な感じで面白がってくれたかな。だんだん名前が知られる

ようになって、有名人がたくさん来てくれるようになった。

林真理子さんはうちの店を舞台に小説を書いてくれた。『四歳の雌牛』って短編はスタ

ミナ苑が舞台だよ。

あの人が食べにくる日は、人より先にきて、オープン前に中に入って奥の部屋で原稿を

書いてた。林さんはうちの長男が生まれたときに花を送ってくれたり、ずっと懇意にし

てもらっている。最初に来た頃は、絶賛売り出し中の勢いある若手の1人だったんじゃ

ないかな。それからずっと贔屓にしてくれてるんだからうれしいよね。

そういえば、松田優作が来たこともあったね。僕はテレビをあまり見ないからそんなに

詳しくないんだけど、あの日はデカイのが店内の電話で誰かと話していたんだ。

当時は携帯電話なんてない時代だ。奥さんに電話をかけていたようだけど、なんだか聞

いたことがある声だから厨房から覗いたら「あ、松田優作だ」って。

いやあ、背が高かったね。だってこの梁に当たりそうになってたからなあ。あれは確か

病気で亡くなる数年前だったと思う。先週はジャニーズの背の高い子が来てた。ルール

を守ってずっと静かに待ってたよ。暑い中を2時間平気で並ぶんだから大したもんだ。

 

総理大臣だった小渕さんも並んで待ってた。うちの息子は小渕さんからかわいがっても

らってね、お小遣いをもらったこともあるんだよ。小渕さんは本当によくしてくれた

ね。食ってる最中に「小渕さんですよね!」ってしょっちゅう話しかけられてたな。そ

ういう時、小渕さんは「似てるでしょ。よく間違われるんだよね」って笑ってた。そし

て、結局はみんなと握手して帰って行くんだ。お客は現役の総理大臣と握手して喜んで

たよ。食べている最中は、レジのところにSPが立ちっぱなしだ(笑)。小渕さんが亡く

なったときはさみしかったね。僕は先生が大好きだった肉を焼いて、自宅まで焼き肉弁

当を持っていった。先生の自宅は王子にあったからさ、そこまで届けたんだ。奥さんは

とても喜んでくれたね。安倍(晋三)さんも来たよ。最初は奥さんと来たみたいだけ

ど、あまりに人が並んでたからその行列を見て帰っちゃったらしい。そういえば、うち

の店は全員が並ぶ必要はない。1人で並んでもオッケー。時間が来たときにメンバーが

全員揃ってなければ店には入れないってだけ。1人でも揃っていないと入れない。

バイトの子が見たらしいけど、この前来た大女優はさ、待っている間にロケバスの中で

シャンパン飲んでたって(笑)。その女優さんとも帰り際に喋ったけど、オーラがすご

かった。だけど気さくでいい姉ちゃんだったな。

 

最近の芸能人は昔と比べて気取ってないと思うね。昔からそうだけど、偉そうな客はダ

メだよ。飲食店では知ったかぶりしてもダメ。いいことなんて、なにもないよ。

逆に言うとさ、一般のお客さんより芸能人のほうが総じて腰が低いようにも思う。今の

芸能人って普通になってきたんじゃないかな。気取らないのはいいことだと思うよ。

芸能人は昔から変わらず食通が多いね。そういう人は焼き方も上手だ。やはり料理は温

かいうちに食べないとさ。肉を焼いた後に冷ましちゃダメだ。肉は出されたらすぐに食

べるのがいい。そりゃそうだ、こっちはベストの状態で出しているんだから。食べるの

が下手なやつらにはいいもんは出さない。どうせこいつらに出してもわからないだろっ

て気になる。食通は食べ上手。いろんな意味で得をしていると思うよ。

豊島雅信(とよしま・まさのぶ)

 

行列日本一 スタミナ苑の 繁盛哲学 - うまいだけじゃない、売れ続けるための仕事の流儀 -

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