リタイヤして個人的にも青天の霹靂のような経験もしたわけですが、今はケリも付いて
少し時間を有効に使えてる気が少しだけしています。そんな中でアマゾンプライムで
表記、「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」を見てしまいました。感想は三島先
生は当初の自分の描いていたイメージとは違い、なんて愛すべき人間だったんだと言
うこと最後の「侍」だったのかもと思った次第です。三島先生は若者は嫌いと言って
いたようですが、本当に学生に対しての応対がめちゃめちゃ優しい。こんな人間と言
うか、多分先生が嫌うであろう知識人見たことがなかったです。
そこは本当に感動と言いますか、尊敬します。今の世の中にこんな方がいるでしょうか。ある意味、泣けてくる。60も過ぎれば感動するとすぐに泣けてくるんです。そ
して、学生たちが思った以上に「青く」情熱に満ちていた時代だったんだろうと、そ
な気がしました。どう見ても学生の発言内容は、いわゆる「大人の発言」ではないで
すよね。それが悪いと言う意味では言っていないです。私に言わせれば「青い」。
そういう印象です。日本もこんな時代があったんだな、そんな気もしてきます。
今の時代、ニュースも見るのが嫌なぐらい本当に荒れています。コロナが酷いではな
く、政治家もお役人も学校の先生も一般人も「情けないほど酷い」。多分、言い方も
いるのでしょうが、もう自分の思っていた「日本人でない国民」が多々ニュースに出
てきている気がしています。何処でどういう生き方をし、どういう教育を受けたら、
こんな行動が出来るのか、ほぼ理解出来ない。それは自分が違うとか、そう言う意味
ではないです。最低限の社会マナーの法律に触れることをやってしまう、発想が良く
分からないのです。色んな不満や怒りは、この世の中、多々あって嫌なことの方が
多い。でもだからと言って他人を巻き込んでやろうとか、お金儲けをしようと言う
気には絶対にならない。それをやったら自分の描いている「人間」ではなくなるし
、どう考えても他人様が迷惑をすることは絶対にしたくない、そういう判断です。
自分は何も聖人じゃないですし、尊敬される人間でもない。要は単に一般の日本人。
まあ、性格は変わってるかもですが、そういうことです。そういう人間でさえ、行動
規範は確固なものとして自分の中で決まっていますし、それに反することは自分を
殺すことなので絶対に出来ない。そんな訳です。話が少しずれましたが、三島先生は
この後、防衛省で自決するわけですが、経緯は分かるとしても本当もったいない。
もう、それが50年前であったわけです。しかし、流れとしては彼にはそう言う選択
肢しか残されていなかったのでしょう。あの映像にあった曇りのない目を見ていると
それが確信になってきます。
どういう表現をしたらいいのか。そう、純粋な童心の目、なにかに夢中になっている
子供の目です。余り、三島先生の書いた本を読んだことがないのですが、ノーベル文
学賞の候補になっていたのは当然のことのように思います。50年前の映像とは言え
驚いて見てしまっていました。それは三島先生の人間としての魅力に魅入られたから
でしょう。そして日本がこれから伸びる若者も燃えていた時代、そんなことのように
受け取りました。感傷にふけているかもですが、youtubeで特攻の動画、神風を見て
しまいます。そして、呟くんです。「皆さんが命をかけて守って頂いた、今の日本は
ご覧になって、いかがですか」と。どうしても「良いお返事が頂けない」気がして
どうしようもない感じなのです。