どんどん我々の時代を作った方がお亡くなりになっていますが、今日は篠山紀信さんが
お亡くなりになったニュースを目にしました。80歳を超えていたので寿命と言えば確か
に寿命ですが、とうとう亡くなったんだなと言った感じが強いです。作品としては「サ
ンタフェ」が有名ですし、当時の宮沢りえさんは18歳ともう輝かんばかりの美しさだっ
たのでそれも当然であったのでしょう。自分が一番彼の名前を聞いて思い出すのは雑誌
GOROの冒頭写真集のような連載特集をやっていて、そこで若い魅力的な女性が多々登
場していたことです。この写真は本当に情熱的と言いますか、目にしたら10代であった
ろう自分の身体がかっ!と急激に熱くなったほどです。更に言えば、こんな写真どうや
ったら撮影出来るんだ?と相当不思議に思っていました。かなり羨ましかったのかもで
す。
もう1つのお話が彼の奥様が南沙織さんであったことでしょう。当時の自分の中では南
沙織さんは特別でこんな素敵な女性どこにいたんだ?そんな感じでした。確か彼女は沖
縄生まれ、沖縄育ち。後にも先にもこんな素敵な女性はいないと言った特別な感じでし
た。今でも彼女のヒット曲「17歳」は思い出すとメロディが頭の中で流れるし、歌えま
す。そんな彼女が篠山紀信さんの奥様になったのですから、「え!」と思ったのと同時
に「やはりな」とも思ったのです。この「やはりな」は相当数の魅力的な女性をお仕事
でとは言いながら目にしてきた彼がどんな女性を伴侶にするか、そこがかなり気になっ
ていましたから。彼は髪の毛がぼうぼうの感じで見かけ全然素敵に見えていないのです
が、あの写真からして相当魅力的な女性を短時間で刺激的な雰囲気に変えて撮影してい
たのは、間違いのないことだろうからです。ですから南沙織さん、シンシアが紀信氏の
奥様になったことを聞いた時は「やはりな、やはりそういうことなんだろ」と勝手に納
得していたのです。
多分、20代になってからだと思いますが、魅力的な女性の写真をどうやって撮影してい
るかのインタビューが雑誌に掲載されていて、それを読んで「やはり、そういうこと
な」と変に納得していまっていました。詳細は言いませんが、紀信氏の撮影はどうみて
も撮影対象の女性を自分の彼女にした雰囲気でないと撮影出来ないと思っていたので。
具体的な行動はともかく、あの写真の熱さはそういうことだったのでしょう。今思い返
しても完全に私の1時代を飾ってくれた篠山氏、急に亡くなったそうですが、心から感
謝いたします。合掌。