引用:JIJI.COM
良い話ばかりもしていられないですが、自分が絶対に忘れられないのが日航機墜落事故
JAL123便の話です。昭和60年8月12日羽田から大阪へ向かっていた日航ジャンボ機が
群馬県の通称、御巣鷹の尾根に墜落し、乗員乗客524名のうち、520人が亡くなるという
単独旅客機としては最大の事故でした。昭和60年と言えば自分は28歳、完全に会社員に
なっていた時期です。海の波と空港の旅客機の離着陸は何回見ても飽きない自分なので
特に旅客機事故に関してはかなりの数の本を読んでいます。その中でもJAL123便の話
は悲惨過ぎて絶対に忘れられない事故なのです。事故の規模も確かにそうなのですが、
墜落に関する様々な関係各所の対応に?のマークが多々付いてしまいます。
そして米国でも新聞でニュースとして取り上げらたのが当時の米軍が事故2時間後には
現地に向かい、救助をしようとしたところ、中止させられた話と自衛隊が通常報道され
ている時刻よりも前に事故現場で活動をしていたのではないかと言う目撃情報です。
2番目の情報は、その真偽の確か模様もないですが最初の情報は本当の事実なので隠し
ようがありません。何故日本は米軍の救助活動を止めたのか?そこは政府からそんな情
報は米軍から政府にはあがっていないというのが政府の公式見解なので、何も分かりま
せん。そして自分は当時JALの客室乗務員さんで事故で同僚を亡くし、事故の様々な疑
問から心から絶対に消えない事故です。
そして当時客室乗務員をしていて事故で同僚を亡くし、事故原因を追究している青山
透子さん著「日航機123便墜落事故原因に迫る新事実」を買って読みました。内容は
非常に驚く内容や目撃情報が多々ありました。一番は遺体がタール等で焼かれた可能性
がある話。ジェット燃料の燃焼ではタールは生成されませんし、このタールからジェッ
ト燃料には入っていない成分も分析から見つかったそうです。これが事実だとしたら
いったいどういうことなのでしょう。凡人の私では皆目見当も尽きません。多分、普通
の人間では推測も出来ないような事実があったのだと思います。世の中一見すると非常
に平和な感じもしますが裏では色んなことが起きているだろうことも事実なのです。