写真とは、まったく関係のない先日の女子中学生誘拐事件の話です。2年間逃げること
が出来なかった件で、それなりの不思議感を持った方と「何で逃げない?何故、逃げれ
なかったのか」と言う批判の声も出てきました。それに感じて少しだけ、考えてみたい
と思います。今回の誘拐事件は本当に不可解で不思議な部分が沢山あったように思いま
す。ですから、そういう意味では一般的な方が想像出来ないことが多々あったのだろう
と推測されます。そして誘拐の対象者は少女でした。そんな風に考えると確かに不思議
で理解出来ない部分があってもおかしくないのだろうと思います。そう言った意味から
すれば、誘拐された女の子がどんな精神状態であったかは我々は全く分かりません。
ひょっとすると精神的に追い込まれていかたも知れません。そうなってくると今回の件
も本当のところは本人たちにしか、分らないようにも思います。そうなってくると「
時間があったのに隙があったはずなのに何で逃げれなかったのか」と言う疑問、批判も
簡単には当てはまらないように思います。少なくとも少女は被害者で今も多分、すぐに
は立ち直れない状況なんだろうと思います。
昨今思うのは、社会の風習として、自分の意見を言うことが多く、また、下手をすると
自分の言っていることが正しいと言うのを大前提で色々声を大にして言う方が増えて
いるということです。こんなに社会も複雑になり、個々の価値観が多種多様になってく
れくるほど、「私の意見が正しい」なんてことはなかなか言えなくなります。第3者に
とって見れば180度違うことが稀でなくなっているのですから。そう言う意味では良い
ことを褒めるのは、まるっきり問題がないですが、批判めいた話をする場合は絶対に
独善的にならず、相手の立場を良く理解したうえで、色々お話をしたいものです。
そうでなくても嫌な話は社会を暗くし、人を傷付けたりがあるわけですから。最近感
じているのは他人の失敗には厳しい人が多いような、そんな気がします。