ニルヴァーナの代表作『Nevermind』が今年9月24日にリリース30周年を迎えた。シアトルの小さなクラブで「Smells Like Teen Spirit」が初めて披露されたのは同年4月17日のこと。この時点でのニルヴァーナは中堅のインディーバンドに過ぎず、同曲が90年代を象徴するアンセムとなり、3人の人生を劇的に塗り替えてしまうなんて知る由もなかった。名門レーベル4ADのゼネラルマネージャーを務め、ライターとしても多くの有力メディアに寄稿している筆者のナビル・エアーズは、大学時代にこの歴史的瞬間に立ち合い、新しい時代が始まる兆しを肌身で感じ取っていた。
幸運をもたらした思いつき
1991年の春、アリス・イン・チェインズはシアトルで最も人気のあるバンドだった。その1年半前にはサウンドガーデンが『Louder than Love』でメジャーデビューし、ニルヴァーナとマッドハニーは高く評価されたスラッジ寄りのアルバムをSub Popからリリースしパール・ジャムはまだMookie Blaylockと名乗っていた。他にも多くのシアトル産バンドがアルバムを出したりライブを行っていた当時は、誰がいつ大ブレイクしておかしくない状況だった。だがどのバンドも、トークボックスが印象的なアリス・イン・チェインズの「Man in the Box」のような、MTVで持て囃されるヒット曲を出すことはできずにいた。
強いコーヒーの香りが染み付いた会場内の暗いカフェを通り過ぎ、狭いライブスペースへと続く重厚な扉の振動を手に感じながら押し開くと、300人のオーディエンスがひとつの塊となって凄まじい熱気を放っていた。ちょうどフィッツ・オブ・ディプレッションがディーヴォ「Freedom of Choice」のギター版高速カバーでセットを終えようとするところで、会場には汗の匂いが充満していた。
「Smells Like Teen Spirit」のコード進行は決して革新的ではなく、無数のロックソングに使われているありきたりなものだった。同曲にはブリッジさえなかった。しかし、そのパワフルな3人組が当日初めて披露したシンプルでキャッチーなパーツの組み合わせには、単なる足し算では到底生まれ得ないマジックがあった。ドラムパターンさえもフックの一部であり、コーラスでカートが声を張り上げるたびに、その高音は筆者の脳に刻み込まれていった。ショーが終わった後も、筆者の頭の中では「Smells Like Teen Spirit」が鳴り続けていた。
1992年9月に『シングルス』が公開された頃には、「シアトル・シーン」という言葉が持つ意味は大きく変わっていた。パール・ジャムのデビューアルバム『Ten』、サウンドガーデンの出世作『Badmotorfinger』、そして破格の成功を収めたニルヴァーナの『Nevermind』がそれぞれ世に出てから1年が経とうとしていた。シアトルはもはやアンダーグラウンドシーンの源泉ではなく、世界中を席巻するムーブメントの震源地となっており、J.C. Penneyのアパレルラインの広告で先の尖った髭を蓄えた体育会系の男とオタク風のパンクスが並ぶような状況となっていた。『シングルス』が製作されていた時点では中堅インディーバンドの域を出ず、同作には名前さえ出てこないニルヴァーナは、今や世界で最もビッグなバンドとされていた。あの日、OK Hotelでのセット中盤にプレイされた荒削りな「Smells Like Teen Spirit」はトップ10入りを果たし、『サタデー・ナイト・ライブ』で披露され、ウィアード・アル・ヤンコビックによるパロディ版が発表されていた。
自宅へと車を走らせながら、頭の中で鳴り続けている曲がまだ音源化されていないという事実に、筆者は言いようのない焦燥感を覚えていた。頭の中で曲を再現し、譜面なしにギターでのコピーを試み、その魅力を口頭で友人に伝えようと努め、もう一度聴きたくて居ても立っても居られなくなる。それらはインターネットが存在しなかった時代における、ライブミュージックならではの体験だった。「Smells Like Teen Spirit」を脳内で再生しようとすればするほど、思いつきで足を運んだごく普通の3人組によるライブによって、自分のそれまでの音楽体験がすべて書き換えられてしまったように思えてならなかった。あの夜、筆者が目にしたものは、それまでに経験したあらゆるものよりも大きな意味を持っていた。決して後戻りはできないことを、筆者はすでに悟っていた。
チームは、古代エジプトの墳墓群「王家の谷(Valley of the Kings)」のあるルクソール近郊で2020年9月、ラムセス3世とアメンホテプ3世の葬祭殿に挟まれた地区の発掘を開始。数週間のうちに、泥れんがの遺構が出土した。「保存状態の良い大規模な都市遺構で、壁はほぼ完全に残り、各室内には日用品がたくさんあった」という。